映画『猿の惑星』、実は・・・・

私の愛読しているメルマガに下記の内容の寄稿があり、実に興味ある中身を少々長くなりますが一部抜粋し引用させていただきました。

大英帝国を崩壊させた大東亜戦争
日本との戦いで植民地を失い、大英帝国は崩壊に追い込まれた。
イギリスの田舎に現れたアメリカ戦車
26歳にしてイギリスの「ファイナンシャル・タイムズ」紙の初代東京支局
長となり、現在も東京の外国人特派員協会の最古参として健筆をふるって
いるヘンリー・ストークス氏は、幼い頃、イギリスの片田舎で、アメリ
軍の戦車を見た時の事をこう記している。

「・・・ある日、妹の手をとって幼稚園へ向かって歩いていたら、雷のよ
うな音がした。・・・何かが道路の曲がりかどの向こうから、近づいてきた。なんと、それは戦車だった。
戦車が視界に入ってくると、轟音はますます激しくなった。戦車の側面に
は大きな白色の星が描かれ、アメリカ軍であることを示していた。
それが、次々と10輛(りょう)ほど連なって来る姿に、いまにもわれわれに向
かって撃ってくるのではないかと恐怖を感じた」。
先頭の戦車に乗っているアメリカ兵は、手を振りながら、「ハーイ」など
と言って、二人に何か小さな物を放り投げた。それはストークス少年が生
まれて初めて手にするチューインガムだった。彼は嬉しいというより、複
雑な気持ちを抱いた」。
アメリカから見れば「太平洋戦争」で日本を打ち破り、中国・アジアへの
門戸を広げた戦いであったが、英国にとってはアジアでの植民地を失い、
世界の覇権を米国に奪われた戦いであった。

英国の受けた衝撃
英国にとって、日本との戦いは衝撃をもって始まった。
「もっとも衝撃的だったのは、『プリンス・オブ・ウェールズ』と『レパ
ルス』という大英帝国海軍が誇る2隻の戦艦が、日本の航空攻撃によっ
て、わずか4時間で撃沈されてしまったことだった。イギリスの誇りは陸軍ではなく、海軍にあった。その誇りが、一瞬にして貶(おとし)められた」。
12月8日の真珠湾攻撃のわずか3日後の事であった。
「日本軍が突然、マレー半島に上陸し、まったく次元の違った戦いが始
まった。チャーチル首相も、面食らった。
大英帝国にとってシンガポールは、香港や、上海につぐ重要な拠点だった。シンガポール陥落はイギリスにとって、植民地支配の終わりを象徴していた」。
シンガポール陥落は、昭和17(1942)年2月15日、開戦から2ヶ月余りしか
経っていなかった。

「日本軍は大英帝国を崩壊させた」
日本から受けた衝撃を、英国民はどのように受けとめたのか。
「日本軍は、大英帝国を崩壊させた。イギリス国民の誰一人として、その
ようなことが現実に起ころうなどとは、夢にも思っていなかった。それが
現実であると知った時の衝撃と、屈辱は察して余りある」。
「イギリスは数百年間にわたって、負けを知らなかった。大英帝国を建設
する過程における侵略戦争は、連戦連勝だった。私はイギリスは戦えば必
ず勝つと思っていたし、学校でそのように教えられた。私は一面がピンク
だった地球儀によって、教育を受けた。イギリスの領土がピンク色で、示
されていた。
ところが、第2次大戦が終わると、植民地が次々と独立して、ピンク色
だった世界が、さまざまな色に塗り替えられてしまった。
日本の手によって、戦争に必ず勝つはずだったイギリスが、大英帝国の版
図をすべて失った」。
英国人の感じた「衝撃」と「屈辱」には人種偏見も潜んでいる。
「当時、私は『ロンドン・タイムズ』東京支店長だったが、白人社会では
戦後一貫して、日本への憤りが蔓延していた。そこには怨念があった。
その帝国の植民地がなんと有色の日本人によって奪われた。イギリス人にとって、有色人種に領土を奪われ、有色人種が次々と独立国をつくったことは、想像を絶する悔しさだった」。

「『猿の惑星』という映画があったが、まさにそれが現実となったような
衝撃だった。・・・
人間−西洋人−の真似をしていた猿が、人間の上に立つ。それが現実と
なったら、どれくらいの衝撃か、想像できよう」。
猿の惑星』とは例えではない。原作者ピエール・ブールは、まず『戦場
にかける橋』で、自ら日本軍の捕虜になったと称して、残虐で無能な日本
軍が英軍捕虜に強制労働させて、タイのクワイ河に橋をかける物語を書い
て、大ヒットさせた。
次に、それをSF映画に発展させて、日本人を猿に見立て、人間(白人)
が支配されるというシナリオを仕立てたのである。
「侵略」か「解放」か
しかし、ストークス氏は、日本には日本の見方がある事を知った。
「私の親しい知人である加瀬英明氏をはじめとする保守派と呼ばれる人た
ちの立場は「日本は侵略戦争をしていない」、アジアを「侵略した」ので
はなく、「解放した」というものだ。これは日本人の立場に立った主張だ。
私はイギリス人だから、イギリス側の見方に立って考える。イギリス人か
らすると、「日本は侵略をしてきた」となる。イギリスがアジアに保持し
ていた植民地を、日本が「侵略」してきた。イギリスにしてみれば、「日
本は侵略国」だ。
私はアメリカ人ではないので、アメリカ側の視点とは異なる。アメリカ人は、「日本人は明確なアメリカ領土のハワイを、攻撃したのだから、日本がアメリカに侵略戦争を仕掛けた」と、主張するだろう。
先の大戦は、日本にとっては、自らの自存自衛とアジア諸民族の独立のた
めに戦った「大東亜戦争」であったが、アメリカにとっては「太平洋戦
争」だった。アメリカが日本占領後に「大東亜戦争」という呼称を禁じ、
「太平洋戦争」と呼ばせたのは、アメリカ側の歴史観を強制するためだった。
しかし、同盟国だったアメリカとイギリスでも、その歴史観は異なる。日
本によって植民地を奪われたイギリスからの視点に立てば、その対極に
「植民地解放」という、もう一つの視点があることが見えてくる。

侵略は『文明化』か『罪』か
「日本がアジアの植民地を侵略したのは、悪いことだったろうか。侵略が
悪いことなら、世界史で、アジア、アフリカ、オーストラリア、北米、南
米を侵略してきたのは、西洋諸国だ。しかし、今日まで、西洋諸国がそう
した侵略を謝罪したことはない。
どうして、日本だけが欧米の植民地を侵略したことを、謝罪しなければな
らないのか。東京裁判では、「世界で侵略戦争をしたのは、どちらだった
か」ということに目を瞑(つむ)って、日本を裁いた。
それは侵略戦争が悪いからではなく、「有色人種が、白人様の領地を侵略
した」からだった。白人が有色人種を侵略するのは『文明化』で、劣って
いる有色人種が白人を侵略するのは「犯罪」であり、神の意向に逆らう
『罪』であると、正当化した」。
このように異なる歴史観の間でも、論理的な議論はありうる。そこでの有
力な武器は、「白人の侵略は良くて、日本人の侵略は悪」という二重基準
ダブル・スタンダード)を突くことである。

こういう一面があるのをほとんど知らなかったので、もし参考になればと思い掲出した次第です。
歴史の視点は多様でなかなかおもしろい、そしておそろしいですね。
参考 わたなべ りょうじろうのメイル・マガジン「頂門の一針」3922号
伊勢雅臣氏寄稿より