「節分」の候。

この時期になると「鬼は外、福は内」のかけ声よろしく、豆まきで厄を追い払う行事が見られるのだが、
最近は節分といえど、めっきり少なくなり、私など寂しい気分しきり。

もう二十四節気の季節用語もほとんど暦には反映されないが、この季節の分かれ目を表わすこれらの言葉、
立春立夏立秋立冬など、まだまだ多用されている。

特に「節分」と言われている日の豆まきが特に認識され、炒った大豆を神さんにお供えし、
年男が「鬼は外 福は内」と声を大にしてこれをまく。
子供の頃は毎年この日に父親が家中に、また庭に豆をまき、家族や仕事の安全・繁栄を祈りつつ行ったものだ。
また年の数に一粒足して食し、同じく無病息災と念じたことを覚えている。

何かしら、暖かい憩いの時間を過ごしていたように思う。
最近はこれがトンと忘れられているのか、時代の変遷のせいか、ほとんど聞かれない。

またイワシの頭を焼き、ヒイラギの枝に刺し、屋根に置き、厄除けを信じた、そんな風習もどこかへ置き去りにされたのか。
豆もイワシも売れてないとしたら、景気への影響も深刻になるんとちゃうん。

それに恵方を向いて“のり巻きを食べる”そんな慣わしが、のり屋の陰謀と言われたこともあったが、結構おいしい。
こののり巻きは今、しっかり市民権を得ているようでスーパーや百貨店・コンビニ等々で、
適当なネーミングをつけて店頭に並んでいる。

いづれにしても、なんとなくその当時は、裕福でないけれどゆとりがあったように思う。
最近はとみにゆとりがなくなってきているように感じられ、ギスギス感がつのる気がする。
こんな不透明感漂い、なんとなく不安気な世相。
人との関係もギクシャクした感があり、暖かみのないようで、殺伐とした状況になっているのでは。
ここらで一つゆったり、のんびりと、ひと呼吸おいてもう一度足元を見直す機会を持ちたい。

(T.Ono)