“万葉びとの世界”にふれて・・・

先日、久しぶりに古典の話を聞く機会があり、おもしろそうなので足を運んだ。
話も“万葉びとの世界”という内容のもので、何かしら遠い昔へワープする感があり、感動のひとときがあるのではと思い拝聴。
万葉集などは高校以来、触れる機会がほとんどなく懐かしさが湧いてきた。
今回のお話は、上野誠氏(奈良大学文学部教授)によるもので、話し方、歌の朗読に大変魅了された。(先生の声の抑揚、声音がまた素晴らしい)
歌はことばの切る節〔せつ〕が大切で、その節を違えると全く意をなさない、というお話から日本人の説明ベタの要因等、いろいろの視点からとらえ大変勉強になった。
冒頭にさっそく次の歌を素晴らしい美声で流れ出るように詠まれたのには驚かされた。


・よしゑやし 恋ひじとすれど 秋風の 寒く吹く夜は 君をしそ思ふ
・秋の夜を 長しと言へど 積もりにし 恋を尽くせば 短かりけり

いづれも恋の歌であるが、たった31文字で気持ちと感情を表わす日本ならではの文化であり、なぜこれだけで自分の気持ち・心を伝えることができるのか。
昔は説明をしない文化であった。それが世界一短い詩のかたちとして表現する様式をもつ国だと言えます。

情緒的性格―これは日本に生まれたことが最大の要因で共有された情報が多い。
説明しなくてもよい文化、また決まりごと(季語)がある。環境、場、風土が同じで共に暮らしている。
一場から形成される情緒があって要するに説明する必要がない、ということがこういう歌として表現することができる。
まことに合点がいくお話でした。
だから、いらん言葉を省略するか、多く語らない方がカッコよいという文化が根付いたのでしょう。


反対に海外では異民族に囲まれ、常に良い疎通をとるために“ことば”が最重要で、誰にでも分かりやすく説明することが必要であったので、
演説や討論力(ディベート)が長けてきた、ということのようだ。その昔、先述のように日本人は省略、同じ環境、共有情報が多いため、
言わず語らずで相手の心情を察する土壌が育まれたということです。だから日本人は話しベタになったのではとのお話でした。
万葉集は「待つ女の文学」「嫉妬の文学」が見事に表現された素晴らしい歌集で、いつまでも読み親しまれるのも、この国に生まれたのも豊かな風土の成せるワザなのでしょう。

(T.Ono)