定例講演会 「幕末維新に学ぶ現在」─ 政治外交と科学技術

りそな総合研究所主催で表記の定例講演会が今月7日に行われた。
講師は東京大学名誉教授 山内 昌之氏。
専門は国際関係史とイスラーム地域研究の第一人者。
表題のテーマでの講演内容だったのでちょっと意外だった。
今回の講演は幕末の動乱期に多くの若者が夢や志をもって輩出したが、その中で地味ながら国のため、社会のため、国民のために何事かを成さんとした方を取り上げてのお話。
決して著名な人物でないがすごい発想と情熱を傾けて成し遂げた今に残る業績を紹介、感動を覚えた。
大阪「桜の通り抜け」を始めた遠藤 謹助。
明治16年(1883)造幣局局長であった氏の発案で実施。「局員だけの花見ではもったいない。市民と共に楽しもうではないか」との考えで構内の桜並木を一般市民に開放した。
この造幣局を作った遠藤謹助は「造幣の父」として知られる人物。
もとはと言えば幕末長州藩の勤王の志士。「長州ファイブ」と呼ばれる人物の一人で、後に首相になる伊藤博文、外相になる井上馨などもこの5人の仲間。
イギリスへの留学で造幣技術を習得。お雇いイギリス人責任者と貨幣鋳造比率で衝突、信念を曲げずいったん辞職。政府はイギリスと契約解消、その後再度造幣局に戻り局長となり生涯つくした。
また琵琶湖疏水の父と言われる北垣國道。
山科から京都市内に運ぶ水路、水路閣琵琶湖疏水の水道橋)を建設。南禅寺の境内を通り、レンガ造りのアーチ構造はよく知られている。
この事業にあたったのがもう一人、青年技師の田辺朔郎
この時代にこの規模の土木事業をよくぞ完成させたものと思う。
この疏水は浜大津の取水口と京都の蹴上との落差を利用したものだがその差わずか4メートル。浜大津から蹴上まで総延長12キロメートル。工期4年8ヶ月。
高低差がこれだけなのに現在もゆたかに流れている。
そして田辺朔郎は工期途中に渡米し視察、そこで水力発電を構想、日本初の営業用水力発電所となる蹴上発電所を建設、その雄姿の面影が今も残っている。
北垣國道は北海道庁長官となり、函館港の改修、明治31年に今の函館港の原型ができあがった。
そして北海道官設鉄道を計画、田辺朔郎を函館、宗谷、根室本線の調査と建設にあたらせた。
薩英戦争の外交家であった重野安繹(しげの やすつぐ)。
生麦事件と薩英戦争の厄介な国際事案を見事に処理した人物。
イギリスの全権大使との激しい駆け引きで毅然とした対応で主導権を握り「両国懇親」「両国和親」のため、相手国の主君に対し申し訳が立つよう、イギリスに軍艦購入の周旋を求めるという外交家としての手腕を発揮した。
往年は政治家や事業家にならず、東大教授として史学会初代会長に就任。
いずれも華やかな表舞台には出ないけれどこんな先人が活躍し偉業をなしていたことを学ぶ機会ができた。
いずれの人物も「必要とされるところで時代に必要な仕事」を成している。
歴史から学ぶということは、何か参考になることが必ずある。
人間の考える道筋(思考回路)はさほど変わることがない、それが歴史である。
歴史を知らない、学ばないのは実にもったいない気がする。